「自分に嘘をつかずに生きていくこと」を学んだ陸ガメが、先行く人を気にせず、ゆっくりと一歩づつを歩みながら思うことを書いていく。

170516 5月20日(土) 介助犬フェスタ@モリコロパーク

 遂に今週末となりました。

www.kaijoken-festa.jp

昨年補助犬認定された使用者さんとそれに携わった職員さんたちのお話や、様々なお楽しみがあります。是非とも遊びにきてね。

tortoise.hatenablog.com

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ありがとう。

 

 

170515 介助犬ボランティアを続けている理由

陸ガメの記事には「介助犬」関連が多い。そのおもな理由は

ameblo.jp

に『「犬×障害者」が一つのキーワードである』とか書いているが、もし少し書きたいと思う。

皆さんは「ボランティア」にどのようなイメージをお持ちなんだろうか。ただ「言われたことを黙々とする」のも一つの在り方だろうし、培った自分の専門性を生かすことも方法だと思うが、その様な方法でも「無償の愛」を捧げることは大変素晴らしい事だと思う。

陸ガメは介助犬を始める前にボーイスカウト活動の指導者をやっていた。子供の頃からやっていたのでなく、自分の子供を入れてからカブ隊のデンリーダーを仰せつかったのが最初である。足に障害があるため最初その要請には躊躇したが、強い要請と好奇心もあり始め、結局通算で約15年位やっていた。

このボーイスカウト組織は、1908年にロバート・ベーデン=パウエル(元英国陸軍中将、陸軍騎馬監察長官で予備役)がボーイスカウトを創設した事が始まりで、その理念と指導者及びスカウトに対する教育体系はしっかりしており、ボランティアである指導者の質を向上し活動の質の向上させることに熱心である。特に指導者の経験や役割によってさまざまな野営集合教育があり、ビーバー、カブ、ボーイ、ベンチャー、ローバー等指導者、また指導者の立場によって必要とされる技能・知識・資質に合わせて行われる。その中で各隊長になる為の「ウッドバッチ」教育課程、三泊四日の野営キャンプは厳しい。陸ガメもビーバーとカブのウッドバッチ課程を修了している。つまりボランティアとはいえ、団体、活動内容よっては専門教育を受けるである。

さて日本介助犬協会だが、ここも同様にボラ教育・育成に熱心である。それは、犬の預かりボラ、パピーボラ、繁殖犬ボラ、犬舎でのお世話ボラ、万屋さんなどに対して、犬のしつけ・接し方・健康管理など、ボラ内容・役割によって様々である。そして陸ガメの主任務である「啓発ためのデモンストレーションMCボランティア」になるには、まず最初に8時間3日間の講座(犬、障害、法律など多岐にわたる)・MC実技教育を受け、その後各自の個別練習の状態を職員が判断して「そろそろ、デビューしましょうか」と声を掛けて戴いけないとデモMCという主任務を果たすことができない。しかしそのデビュー時期はそれぞれに社会生活・事情のために人様々である。この様に日本介助犬協会はボーイスカウトと同様「ボランティアの質向上」に注力しており、弱い財政基盤でも多くの投資をしているのである。

陸ガメももちろんその課程を経て今に至る。つまり日本介助犬協会は陸ガメに多くの投資をしたことになる。そして上記ブログにあるように陸ガメは介助犬や協会に救われた「恩」ある。陸ガメの恩返しとして、その投資に見合う成果を啓発活動を通じて出さなけばならない。その効果は数字で測れるものではないが、陸ガメは砂粒の一つだろうが、介助犬啓発に役に立てればそれでいい。決して協会から個人的な評価を得たいがために我欲でやっていない。これだけは強く言っておく。

しかしボランティアMCとはいえ、イベント等の啓発活動でどのデモMCを使うかは協会の裁量で、MCボラたちは「協会に使って戴く」立場と思う。その為、介助犬普及・啓発活動為に役に立つことが出来るか否かは、協会から信頼されるしかないのである。如何に実績を積み協会の信頼を得て行くかは、それぞれボラの努力であり課題と思う。もちろん日程や気が向かいなどの理由で断ってもいい。やれるときやればばいい。世知辛いが陸ガメにも仕事がある.。

また日本介助犬協会ではボラと職員たちとの距離は近く、互いに切磋琢磨をしていると思う。陸ガメもイベント、講演等のデモMC後に自己反省(例えば、笑顔はどう? 早口で無かった? 犬の癖について行ってるかな? とか)を伝えると職員からのアドバイスを戴く。さらにその会話のなかから新たに問題点が見えてくることがある。先日の寄付活動後に職員さんから「募金活動で気が付いた事があったら言ってくださいね」と意見を求めるメールがきた。募金活動は初体験だったが「こうしたらいいかも・・・」といくつか返信をしたが、改善していくにしても人も財政もないのは実態。しかし問題点と改善について職員・ボラたちが議論・実践しながら一体となって解決していこうとする意識は強いと思う。それはシンシアの丘ができて以来(今年で8年)ボラをやっていらっしゃる先輩ボラも言っていた。

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陸ガメ主任務はデモMCですが、他にも、ビラ整理、センター掃除、駐車場係、ブース設営、チャリティグッズ販売など職員さんの指示によってなんでもやっている。どのような依頼だろうが、すべてが介助犬に繋がっており、忙しい職員さんたちの負担を低減することができ、また他のボラさんたちと交流することが大変楽しいと感じる。

少し硬いこと書いたが、日本介助犬協会の職員さん、ボラさんたちの繋がりは「単に犬が好き」という単純な場合もある。それはそれでいい。

最後に日本介助犬協会の職員さんたちの介助犬に対する覚悟は半端でない。それはさまざまな病気、障害を抱え社会参加していこうとする方々を介助犬で支えることに、それこそ命を掛けている。そしてボラ仲間たちも微力ながら協会、職員さんを支えたいと思っている。

 

暑い日の屋外イベントで2回のデモ活動から帰宅する、ジゼル(黒)、キャロル(白)。すっかりのんびりムード。

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ありがとう。

170515 今日の幸せ ありがとう、と思えたこと。

昨日のブログにも書いたが

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 今はやったと辿りついた事をやりだしている。そして今日はやっと来れた現場、改めて自分の原点と出会う事ができたことに、ありがとう。

現場に立ってこそ感じ、見えることがある。そもそもこの現場を維持管理していくさえかなり難しい貴重な現場。そこで様々な難しいが解決しなければならない問題点が見えて来た。

ありがとう。

1705014 今日の幸せ 日向ぼっこしたこと

昨日と違って、晴天でほっこり。

家にも一応庭がある。戸を開けて廊下に座って日向ぼっこ。気持のよい風にのってくる新緑の香りとお日様の温もり。

その目の前に紫陽花が揺れる。この紫陽花はお袋が大切にしていたもので、妹からも「大事にしてね」と念を押されている。

あまり手入れをしていなが毎年花をつける、その枝先に新しい今年の花の芽が出ていた。今年もいつものように咲くようだ。

今日は母の日らしい。

ありがとう

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170514 この空を飛べたら・・・

陸ガメも生きたい、と思うのである。

親の庇護から離れ仕事に就き、そして家を守り、家族、両親を大切に思い、苦しくとも食い扶持を稼ぎ続けた。そして両親も不十分ながら送ることができ、子供たちもそれぞれ旅立っている。そして今、残りの人生が数えられる数になって来た時に、さてもう一度生き直したいと思う。

ゆっくりと陸上を歩むしか出来ない陸ガメでも、時には大空を舞っている鳥たちを見上げて「あ~~~、空を飛べるのか」と羨ましく思う事がある。自分に堅い甲羅と立派な足はあるが翼はないことにを不思議に思い、なぜ自分に翼が無いのかと悩み、それは「自分が無能だ」からだと、それこそ数十年間思い続けていた。

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しかし、数年前に尊敬してやまない友人から「嫌われる勇気」を教えて戴いて以降、様々な本を読みんだ。また今まで絶対的存在であった集団から出て外の集団に触れてみると、少なくとも「自分が無能」であることは間違いである事が分かった。自分が陸ガメであると認めるが、それは自分自身の存在や能力を否定する事ではない、と考えられるようになったのである。そしてそのお蔭で自分の人生の課題、今まで蓋をして無い事にしていた2つ問題に正面から向き合い解決する気持ちがもてるようになった。

そこで「自分に嘘をつかない」ことを第一として、まず最初に一つ目の課題に取り組む為に絶対的存在である集団と改めて向かい合った。いろいろと積み残した問題を片付けた後に、新たにそこでの役割を考えた時に集団内でやり残したことがあることに気付く。しかし大きな集団であるが故に個人のそのような事は「どうでもいい事」である。しかし自分がここでの価値を見出すにはそのやり残したことをやる必要があった。そこで大凡7カ月程度かかったが、仲間の応援も戴きながら周囲を説得して、その「やり残した」事をやっている小集団のメンバーになることが出来た。実はここにたどり着くために10年ぐらい必要だったのだ。

ところがその小集団のリーダーも時々、「自分に嘘をついて仕事をすると心病む」、「自分が楽しくないと思う仕事はしない」と言い切るのである。正直その言葉には驚いた。やっと共感できる仕事を共感できる考え方をもった方々と、やれることができる場にたどり着くことが出来た。やはり「自分に嘘をつかない」事は大切な事だ。実際の仕事も「仕事を作っていく」感があり、大変有意義で楽しいものである。正直、仕事が楽しいと思えたのは初めてだ。このリーダーの下ならば体力的、精神的にきつくても、何事も自分の事としてやり切ることが出来る。いやそう「覚悟」した。

さらにもう一つの課題には昨日から取り組みだした。こちらの方が大きな課題と思うが、自分の人生を自分らしく生き抜いて行くにはどうしても解決しなければならい。すでに問題が目の前に、この手元にあるのである。

覚悟をもって事にあたろう。

陸ガメも翼をもち、この空を飛べることができる日が来ることを信じている。

ありがとう。 

170513 今日の幸せ 雨で整理ができた。

昨晩からの雨音を聞きく浅い眠りの中で、GW明けからの様々なことを考える。混乱状態だった課題が少し整理出来た。

特にスマホ。もう化石となっている携帯電話を使っている。それをどのスマホにしようかと先週から考えていた。スマホ先輩らの意見も総合して大凡機種は決めたが、SIMフリーは前提として、そのSIMをどこにするか、いくらの予算でやるか考えないとけない。具体的にはもう少しかかるかなと思う。

最大の課題も雨のお蔭で少し進んだ。

ありがとう。

170512 今日の幸せ 言葉がふっと浮かんだこと

浅い眠りだが、いつのも時間に起床。朝食と身支度をすませた。そして玄関をでてゴミを集積場においた時だったか、車にエンジンをかけた時だったか、急に頭に「ありがとう」と響く。僕が言った訳ではない。後頭部上の方からか、ふっと「ありがとう」が響いた。

単なる思い違いか、一体誰が僕に言うのだろうか、と思いながら高速で目的地に向かう。その間に僕も「ありがとう」とつぶやいてみる。何か気持ちいい。日中の暑さと仕事の厳しさを感じるが、力強い朝日のお蔭でもあろう温かい気持ちで仕事に向かう。

厳しい状況であることを改めて確認したが、仲間たちとその厳しさを越えるための一体感が出来たと思う。

ありがとう。

170511 今日の幸せ 風を感じた

この頃は仕事での車移動が多い。今日は日本中で28℃ぐらいあったらしく、窓を全開にして、風を感じて走るにはちょうど良かった。

山から町に移動中、窓を開けた時に鶯の高い一声が聞こえた。「あ~~~、聞けてよかった」と元気な声に思う。また目的地の駐車場では燕や他の小鳥たちが、温かさを喜んで舞っている。

帰宅時は高速を走っていると強い新緑の香りが、つん~~~と伝わってきた。

風を感じるには、本当はバイクがいい。

空気を切り裂くように一直線に走ったり、止まった時のその場の空気感、香り、暑さ、喧騒、全てを感じる事ができる。車でも窓を全開すれば、自然を感じながら走るにはいい日よりだった。

ありがとう。

 

170510 今日の幸せ 水に流せたこと

年齢を重ねたからだろうか、眠りが浅い時がある。昨夜も夜中から。強い雨音が時折聞えていた。「あ、降ってるなぁ」と眠りと覚醒の隙間での漂う。彼女は僕の右側で寝息というより、いびきに近い呼吸をしている。そんな彼女の体に触れて、温もりと呼吸によるお腹の動きをたのごころに感じながら、強くなる雨音を聞きながらもう少し寝ようと思う。

少しすると、うとうと状態で目覚ましが鳴って新しい日を始める。彼女と僕の朝食を準備して、身支度をして玄関を開ける。幸い夜中の雨は上がっており、黄砂で真っ白だった車がモスグリーンの色を取り戻していた。雨がたまった黄砂、埃をすっかりと流してくれたいた。

さあ、たまった穢れをお天道様からのお恵みにで拭い去って、新しい日の始まり。

夜の暗い思考から解放されて、新しい一歩を、日常を取り戻すことが出来そうだ。

ありがとう。

170509 今日の幸せ 雨の香りを感じたこと

休み中に溜まったメールを読み、受信箱を整理。そして休み前からの課題を思い出す。「そうそう、あの資料」と読みだした。そこでの「あ!そうだ」と掛け算と足し算の簡単な算数を解いて「なぜ」が一つ解決。

そこでドアを開け外に出ると、あの懐かしい雨の香りが僅か表面を見せる土の部分から漂ってきた。天気予報も夕方から雨と言っていたことを思い出す。日頃は排ガスやガソリンの匂いがするところでも、少し風がながれれば、子供の頃によく嗅いだ雨の香りが漂い、堅くなった心が少しほぐれた。

少し乾燥気味だった空気もすこし優しく湿ってくれるだろう、車についた黄砂を流してくれるだろうと、小さな期待をしつつ、雨を感じたことに感謝する。

ありがとう。