171009 ゆったりと
なんか、車がすくないなぁと思って、山に向かうと駐車場の車も少ない。仕事のメンバーはいるけど、全体的にはゆったりとした雰囲気。窓を開けると久々に感じた空気感が気持よい。
仕事は予定通り進めて、少しゆったりと次の仕事の話を進める。
世の中がお休みと分かるのは、お願いしているメーカさんに電話すると、先方はお休みなので、電話に出ないことでわかることが多い。今日もそのパターンだった。
日本人なのに日本の祝祭日が分からない生活っていいだろうか。その分は連休に回っているから数は合ってるんだけどね。少し寂しい感じもする。
でもこのゆったりとした時間に、少し積み残したすべきことを片づけることができた。
ありがとう
171008 出戻り準備
秋らしい空だったが、昼間は結構な気温。
少しあついなぁ、と思いながら、別々の活動の打ち合わせを掛け持ちする。どちらも僕の心の中では大切だが、しかし少し優先順は必要だと思う。欲張らず、頑張らず、お役に立ちたいと願う。それは覚悟の問題だろう。
やれる限り、出来る限り、知力、体力を尽くて行こうと思う。
そしてその様な機会を与えてくださる方々に感謝します。
ありがとう
171007 ワインとお月さま
久々にイタリアワインとシャフ料理に浸る。なかなか予約のとれない馴染みのお店に今晩は入ることができた。シェフの料理と絶妙なワインにしばらく時間を忘れて浸ってみる。
アルコールや美味しい料理が唯一自分を解放する手段ではない。日頃から自分に嘘を付いてないので、ストレスはさほど無いがたまにはいいだろう自分に戻る時があってもと。その自分が正しい自分では無いが、アルコールで現れる自分も自分だ。
と言うように「問い」と「問うこと」を分離することが「悟り」への入り口らしいことを、禅の入門書にて聞きかじる。
その帰り道、空には仲秋を過ぎたお月さまが、右肩を齧られながら僕を見ている。
この「問い」自身が実は煩悩のようだ。「悟り」はこの分離の先で改めて「問い」と「問うこと」が一体化しなければ、煩悩、苦、つまり「比較に苦しむ」を解脱できないとのこと。
先は見えないが、お月さまが道を照らしてくださっていることに、感謝する。
ありがとう
171006 有意義な時間
普段の金曜日に、この時間に電車に乗ることはまれだ。
しかし、今晩は特別である。それは大変に有意義な時間を過ごすために来たからだ。
普段はなかなか話せないことを、いろいろと話すために作った機会。そもそもの背景が違って、普通に日常を送っていたら絶対に会えない人と会うために作った機会だ。但し、この機会を生かすか殺すかは本人次第。後の判断、行動は任せる。
僕の我儘をきいてくれたことに感謝する。
ありがとう
171005 コーヒーの香り
高速の大事を避けて山に向かうので、少し時間が余計にかかる。この状態はしばらく続く。
しかし、山はいつものように迎えてくれて、ホッと一息。
今日は大事なお役目があり、準備をして待機中に少しソワソワ。幸いにお役目を無事に果たし、同僚とコーヒーを味わう。
こだわりのコーヒー豆をこだわりのドリップで入れる。今日は先回より、旨いコーヒーを入れる事ができた。
美味しいコーヒーとお役に立てたことに、感謝する。
ありがとう
171004 大穴一号
先日発見した穴の一つ、最も大きい穴を埋めて、ひと安心。これで一工程前進。
この先に、まだ比較的大きな穴が残っているが、その工事を請け負うか否かは不明。まあ後はどうにでもなるが、一応、設計書ぐらいは投げてみるかな。その後の判断は、先方に任せよう。
まずは、安心できたことに感謝する。
ありがとう
171003 時空間を越える
朝方は肌寒く感じるが昼間は暑い。このサーマルショックに身体を慣らさないとついていけないが、外出のときの服には困まる時期だ。今日は強い西日の浴びながら、上着を着て来たことを少し後悔していた時に、聞きなれたターボプロップエンジンの爆音が響いて来た。空を見上げると太陽を背にC130が2機で編隊飛行。近くの空自基地所属だろう、時々見上げる編隊飛行を初めて撮影することができた。
彼ら巡航速度は540㎞。結構な速度だが、大空を背景にするとその速度さえゆっくりと感じ、その速度と巡行距離、決して良くないだろう乗り心地でPKOに行っていたことは驚きであり、自衛隊員の方々に感謝しかない。
その様に地を這うようなことの進め方も必要だが、近頃の様々なシステムによって仮想空間でことを動かせると、この自然な温度変化、距離、時間も感じなくなる。それはそれで寂しが、そのシステムのお蔭で一瞬にして地球を回り、ことを動かすことができる。
今日はそんな日だった。一挙に飛び越えた時空間でことを、多くの人と一挙に片づけることができた。
文明の力に感謝しつつ、最後は人々の一歩が必要であることを再度認識する事ができた。
ありがとう
170929 おおよそ90年前
この街中を走って、イタズラしていたのだろうと感じながら、ぶらついてみる。もし大東亜戦争がないとか、勝っていたなら、とかが許されるなら、ぼくもここで鰻を捌いていた街、その方が幸せだったかもと今さらながら想う。
これそうで来れなかった街、オヤジが生まれたふるさとにやっと来た。不思議な縁で来ることが出来た。
その縁に感謝します。
ありがとう