「自分に嘘をつかずに生きていくこと」を学んだ陸ガメが、先行く人を気にせず、ゆっくりと一歩づつを歩みながら思うことを書いていく。

170702 紫陽花まつりの中

f:id:yamanekohanemuranai:20170702184123j:plain

人を探しに三ヶ根山に来た。紫陽花祭りの最中だが、ビックリするような人も在らず、幸いにも雨にもならず、薄いくものした、西浦半島越しに渥美半島まで三河湾を見渡せる良い天気でした。

実は三ヶ根山には、もしかしたらあまり知られて無いかもしれない、大変重要な施設、殉国七士廟がある。詳細は各自調べてください。ここが正門。

f:id:yamanekohanemuranai:20170702184116j:plain

奧の駐車場、綺麗に保全されている。陸ガメがいる間も数人の方が訪れて、蒸し暑い中、熱心にその由来などの解説を読まれていました。

f:id:yamanekohanemuranai:20170702184109j:plain

石碑

f:id:yamanekohanemuranai:20170702184102j:plain

この廟の周辺にも、三ヶ根山頂にあるような各部隊の墓碑があります。その中に部隊ではない日本女性個人の碑がありました。「お町さん」と呼ばれていた日本女性だそうです。

f:id:yamanekohanemuranai:20170702184055j:plain

つくづく感じるのは、戦後70年間を大東亜戦争について総括もせず「日本が悪い」と単純化して放置してきた世代への失望感と、今はその世代のツケを払う最後の機会かもしれないという切迫感です。

そして更に立派な女性がいらしたことも記憶をしておかねばならないでしょう。「戦後、ストッキングと女性が強くなった」と言いますが、果たしてそうでしょうか。

 

梅雨の合間の五月晴れに紫陽花はさかんに咲いていましたが、なにか物悲しい花にみえました。蒸し暑さがそう感じさせるのかもしれません。

改めていろいろと感じ、考える機会を与えてくださったご縁に感謝を致します。

 

ありがとう

 

なお、三ヶ根山頂については以前のブログにあります。

ameblo.jp

ここに「殉国七士廟」について、ここにある理由がわかないと書いてありますが、その後、その経緯を知ることになりました。