「自分に嘘をつかずに生きていくこと」を学んだ陸ガメが、先行く人を気にせず、ゆっくりと一歩づつを歩みながら思うことを書いていく。

「くちなしの花」

今年も12月師走となり、間もなく米国と物理的な戦争を開始した日となる。そのことを考えるたびに私より上の世代が、なぜ大東亜戦争について真面目に総括をしてこなかったのかと、その無責任さに怒りを感じる。だが嘆いていても始まらないので「大東亜戦争とは何だったのか」と考える一端として、この本に出会えた。

内容を解説するつもりはないが、宅嶋徳光氏(たくしま のりみつ 海軍予備学生 第13期飛行予備学生 昭和20年月 金華山沖にて殉職 享年24歳)「くちなしの花」を読むにあたり一つアドバイスすると、182頁 安田武氏の「初版の解説」から読みだしたほうが宅嶋氏の文章(日記、手紙)の背景がより理解できると考えられるので、お勧めする。また彼と将来を過ごす事を願っていた、赤沢八重子氏(旧姓 津村)の私記を合わせて読むことで、当時に青春時代を過ごした若者たちの想いがより伝わってくると思う。

宅嶋氏の文章を一言で言えば「詩」だ。その広く深き知性と感性から紡ぎ出される文章は、叫び、咆哮、諦め、渇望、葛藤、冷静、宿命、生と死、愛・・・、僕には言葉にできない「すべて」が伝わってくる。そしてやはり思うのだ、あの大戦はなんだったのかと。宅嶋氏のみならず多くの人々、優秀なDNAをあれほど消耗してしまう価値がどこにあったのだろうかと。でもそのような今の価値観、物差し、考え方で、当時をはかることが無意味であることは十二分に理解し心に沁みている。そして多くの人々が様々な想いを持ちながら戦ってくださったゆえに、今があり、彼らの文章を母国語で読めるという恩恵と平和な時間を得ることができるのである。だからこそ彼らのことを頭で考える事よりもまずは、御英霊に感謝し、慰霊し、今をよりよく真剣に、明るく、美しく生きてくことが、すべきことだろうと想う。

 

宅嶋 徳光 くちなしの花(58頁)より 一文だけ抜きだしたい。

昭和19年6月30日

「俺の言葉に泣いた奴が一人

 俺を恨んでいる奴が一人

 それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人

 俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人

 みんな併せてたった一人・・・」

 

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さまざまな出会いに感謝する。

ありがとう

この様な本からの文章が国語、社会の教科書に記載されることを望む。